ぼくのストーリー

2018年09月21日

歯を矯正。10代前半のぼくは、よくがんばりました/ぼくのストーリー#11 中学生編その2(23rd blog in Sep)


奥魂(おくたま)で生きる人を応援する奥多摩コーチてっつーです。


忘れた頃にやって来る「ぼくのストーリー」シリーズです。

再び、中学生編に戻ってきました。




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【歯並びの矯正の中学時代】

中学生になって、僕は歯の矯正を始めます。

出っ歯だったからです。


恥ずかしい話ですが、子供の時の指しゃぶりが、なかなか抜けず、そのせいで歯並びが悪くなっていました。


通ったのは隣駅の近くにある根津矯正歯科。

院長さんは、あるタレントさんのご兄弟で、一度だけ、そのタレントさんがクリニックに遊びに来たところに居合わせたこともあります。


今でも、まだ続いていらっしゃるようですね。


そうそう、指しゃぶりのほうは、矯正のプロセスが始まったら、何故かピタッと止まりました。





【嫌だった抜歯】

初めて行くときのことです。

母親に「歯を抜くのだけは嫌だからね」と繰り返し繰り返し念を押しながら、クリニックの扉をくぐりました。

最初の問診の時も、そのことを先生にも伝えました。


でも、結局、歯は抜くことになります。


僕の場合は特に出っ歯の矯正でしたから、歯の位置を内側にずらすかたちになるのですが 、全ての歯を収める顎のスペースが残念ながら十分になかったんです。


ま、その頃には僕も観念していて。

自分でも意外とアッサリと抜歯を受け入れました。


先生が上手だったのか、抜いた時も、その後も、特に痛みに悩まされることは無く澄んだのが幸いでした。





【矯正中の思い出】

矯正中は、歯を、ずっと押しているような状態。

定期的にクリニックに行くと、針金を閉めますから、その後数日が、ずっとジンジンと痛い。


そんな日々が2~3年続いていました。


一番覚えているのは、実は卒業写真の撮影の時です。


カメラマンから、「(矯正の装置が付いているから)歯を見せないように笑ってね~」って言われて、ちょっとだけ複雑な氣持ちになったのを覚えています。

顔は笑っているけど、心のほうは何となく笑える氣分じゃない。

そんな内と外のギャップを感じながらの撮影でした。




【最後に】

「僕のストーリー」中学生編。
歯の矯正の体験についてでした。

実は、この「顎が小さい」ということが、僕の仕草や喋り方などに影響を与えてきていることに、最近、思い至っています。

それについては、また機会があれば、言語化してみたいと思います。


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2018年08月27日

失敗してもいいから全力投球しちゃダメなの?/ぼくのストーリー#10 小学校高学年編その3(27/50blogs)


奥魂(おくたま)で生きる人を応援するコーチてっつーです。


約1ヶ月ぶり、久々の「ぼくのストーリー」です。

前回、中学生編に入ったのですが、また小学生編に逆戻りします 笑



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【練習中の大暴投】

野球部時代の思い出です。

僕の特徴は長打力と肩の強さでした。

逆に守備や走塁は苦手。


その辺りのバランスで、僕は5番ライトが定位置でした。


今回は、ある練習の日の出来事です。

実戦形式の守備練習の中で、キャッチしたボールをバックホームするというシーンでした。


でも、状況から、僕は3塁に投げるか、いやホームか、一瞬の迷いが生まれました。

でも、もう投げるための姿勢に入っていたので、止めることはできませんでした。

その結果、ボールは明後日の方向へ。


肩も強かったので、凄いところまで飛んで行きました。


でも、その瞬間の僕は、ボールが変なところへ行ってしまったけれど、渾身の力で球が投げれた満足感がありました。


が、その直後です。

コーチからは怒声が上がります。


「何、考えてんだ。ちゃんとやれ!」






【練習なんだから】

その時の僕は「練習の時くらい、思い切ったことをさせてくれよ。」と内心思っていましたが、コーチに歯向かってまで主張することはしませんでした。


性格的なところと、当時は今以上に、コーチという存在には絶対的な上下関係が強くありましたから。


なんて言ってますが、今だから言語化できているのですけどね。


でも、練習なんだから敢えて失敗させてくれ、って言いたかったのかもしれません。





【結果だけで判断されている】

その後、ある試合の日。


またバックホームを投げる場面があり「今日は本番だし」と、力も6割くらいにセーブして、その代わり、コントロール良く投げました。


そしたらコーチに「やればできるじゃないか」と。


言葉では褒められてますが、全く嬉しくありませんでした。


僕としては、全力で投げれないのが残念でした。

イチローのレーザービームみたいなのに憧れていたんです。

当時は、まだイチローもプロになっていない時代ですけどね。


話が逸れましたが、綺麗にバックホームしたという結果だけを見て、僕の内側で起きていることを知りもしないコーチに、憤るような感情が生まれたのは確かです。

これも、今だから言語化できているのですけどね。


兎も角も、自分の感情を押し殺したのは間違いないと言えます。





【最後に】

ぼくのストーリーシリーズ。
リトルリーグ時代の思い出を書かせていただきました。

この出来事が、僕のその後の人生に、どんな影響を与えたのかハッキリはしませんが、何か象徴的な出来事だったように思います。

下手に全力を出すと結果が伴わない。
軽くやると結果が出やすい。
でも、虚しさが残る。

そんな視点が僕の中にありますので。



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2018年07月24日

親と衝突する思春期/ぼくのストーリー#9 中学生編その1(24/50blogs)


奥魂(おくたま)で生きる人を応援するコーチてっつーです。


久々に「ぼくのストーリー」です。

今回は中学生編。

というか、多分、中学生の時の出来事だろうと思います。

そして、この体験が、その後の僕に多大なる影響を与えていたことを知ったのは、ほんの数日前のことです。



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【母との喧嘩】

中学生と言えば思春期です。
(え、強引??w)


思春期と言えば、反抗期です。
(強引かなぁ??ww)


そう、今回のストーリーは、反抗期の親子ゲンカです。

母と。


喧嘩になった理由は、もう覚えていません。


唯一、覚えていること。

それは、(ちょっと書くのに躊躇いがありますが)僕が手を挙げたことです。


僕の拳は左の鎖骨の、ちょっと下辺りに当たりました。


それでも、僕としては寸止めに近い感じでした。

変に冷静な自分もいたのを覚えています。
それが、手を止めました。


ところが、後年、母と何かの会話の流れの中で、実は、あの時、骨にヒビが入っていたって伝えられました。


骨のことを伝えられた時に、僕が何を考えたりしたのかは、もう覚えていません。




【僕の中には凶器がある】

ここからは、ほんの数日前に氣が付いたことです。


後年、母から骨のことを伝えられた時、 どうも、当時の僕は、こんなことを考えたようなのです。


「自分には凶器がある。」
(凶器ではなく、狂気でも良いかもしれません。)

だって、僕としては大した力を入れてない感触だったからです。

自分の中には危険なものが潜んでいるように感じたのです。


「これが他人に牙を剥かないようにしなければならない。」


今の年齢になって考えれば「何を大袈裟な」って思います。

でも、10代とは言え子供の僕には、それが真実と思えたのだと思います。




【僕の中の凶器を出してはならない】

それ以来、僕は人を遠ざけます。

僕の「凶器」が届く範囲に人を入れないように。



これは物理的な距離ではなく、心理的な距離。


パーソナル・ディスタンスを可能な限り広く取るようにしたのです。

要は人と極力交わらないようにしていました。


これでは、家からは物理的に出てきてはいるけど、精神的には引きこもり状態ですw





【人と繋がれる体験ができなかった】

これまでの僕は、ずっと、自分で、人との距離を保ち続けようとする無意識の動きは感じていました。

その距離は、自分でも、必要以上に作ってしまうのを感じていました。

でも、その根元にある姿を捉えることが上手くできずにいたので、対処することができませんでした。

お陰で僕は、人と繋がるという体験が、あまりできずに、ここまで生きてきたように感じています。


今回、遂に、その姿を捉えたことで、人と繋がれる感覚を味わい始めているからです。




【同じ所を痛める】

この姿を捉えることができた日。

つまり数日前。


ちょっと不思議なことがありました。


人と距離を置いてしまう自分の原因に氣付く直前、僕は胸を強打しました。

幸い、骨まではやられませんでしたが、それでも、一時は、骨にヒビが入ったかと思うくらいのダメージでした。


そのケガのちょっと後に、今回書いた発見があるのですが、この痛めた場所は、正に、僕が母に拳を突いた所と全く同じだったのです。




【その凶器の今】

これが見えてきて、何が見えているのかも書いておきたいと思います。

確かに凶器はあるのかもしれません。

でも、それ以外の要素だって沢山あるわけです。

可能性だって。


人に喜んでもらえたり、役に立てることができたりする要素。


それに、その凶器だって、どれほどのモノでしょう?

今や、凶器としては、すっかり骨抜きになってます。
あはは~。





【最後に】

ぼくのストーリー・シリーズ。
親子喧嘩をきっかけにできた心の言語が、僕のその後の人生に多大な影響を与えていたことが見えてきたことについて書きました。


これは、とっても大きな発見でした。

でも同時に、これは根本ではないことも分かっています。
だって、精神的な引きこもりは幼稚園の頃からもありましたから。

探求は続く。。。


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2018年05月20日

野球少年てっつーになった/ぼくのストーリー#8 小学校高学年編その2(21/50blogs)


奥魂(おくたま)で生きる人を応援するコーチてっつーです。


ぼくのストーリー・シリーズも8回目となりました。

まだ小学校が卒業できておりません。。。

今回も高学年編。



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【野球デビュー】

低学年編で書きましたが、プールと絵の教室にかよっていましたが、どちらも4年生までに辞めます。

▼低学年編
ぼくのストーリー#3/小学校低学年編その1(19/50blogs)


理由は何だったかな。


単純に飽きたのかな。


そして、5年生になったら野球部に入りました。

通っていた小学校に付属?していたダイナマイトというチームです。


当時は、野球もサッカーも流行っていました。

キャプテン翼が連載されてましたから。


でも、我が家は両親が野球観戦が好きで、夜になると、必ずプロ野球の番組を見ていて、その影響が大きいのです。


といっても、当時は(関東では)巨人戦くらいしか放送されておらず、そのせいか僕も巨人が好きでした。


松本(青いイナズマ)/篠塚
/クロマティ/原/吉村/中畑/岡崎/山倉/江川


終盤を迎えるとサウスポーの角が登場し、最後に鹿取で締めくくる。

そんな方程式が出来上がっている時代でした。

(こうやって書くと、水戸黄門みたいだ笑)


話しを戻すと、5年生の僕は、同級生と比べると体も大きいからという理由で、キャッチャー志望でダイナマイトに入りました。


でも、キャッチャーとして上達せず。

だって、バッターがバットを振っちゃうと目をつぶっちゃうんだもん。



そんなわけで、リトルリーグでは守備の負担が小さいポジションであるライトにコンバート。


水泳のお陰で筋力があったみたいで打つほうが比較的長打力があり、肩も強かったです。

そんなわけで6年生になったら5番ライトが定位置になりました。





【万年ビリが入賞を狙えるチームに】

ダイナマイトは、プロ野球で言えば万年Bクラスというか、地元のリーグ戦に出ても、毎回1勝もできないような、超の付く弱小チームでした。


ところが。
ところがですよ。


僕らの代が6年生になったら、何があったのか突然強くなっていきます。


連勝につぐ連勝!

とまではいかないまでも、突然変異的に上位争いができるチームに育ちます。


最後のリーグ戦は、3位決定戦。

最終回。

ツーアウトながらランナーも出ていて、サヨナラ負けになり兼ねないピンチ。


エースのMくんの投げた一球。

バッターは完全に打ち負けながらも、その打球は内野の頭を超えて外野手の前にポトリ。


その瞬間に4位が決まりました。


試合の後で、みんな泣き出しました。

特にその状況に感じているつもりは無かったのですが、涙が止まらなかったのを覚えています。

何で自分は泣いているんだろう?なんて感覚もあって、不思議な時間でした。


ということで、残念ながら入賞は叶いませんでした。

でも、万年ビリのチームが上位争いができるようになったということは学校にも伝わり、全体集会の場で呼び出され、全校の前でお褒めの言葉をいただきました。




【上下関係のひな形ができた】

時間は5年生に戻ります。

僕は6年生のA先輩ととても仲良くなりました。

練習の合間とかに、ずっと喋っていたと思います。

僕のほうが聞き役のほうでしたが、彼の話は楽しく、飽きずに聞いていました。

そこには先輩・後輩という上下関係はありませんでした。


僕自身、平均な日本人よりも縦の関係を好まないというか、体験が少ないというか、そういうところがあります。

その後、中学、高校と進み、社会人になってからも、あまり上下関係とは縁が薄いほうなのですが、その端緒が、この体験だったのではないかなと思います。


僕にとって、ある意味で初めての、良い感じの先輩体験でしたから。
(それまでが必ずしも悪かった、という意味ではありませんが。)




【最後に】

水泳や絵を辞めた僕は、野球部に入り、全くそのつもりは無かったのに、強い(と言っても市内でという狭い範囲ですけどね。)チームになっていく体験や、初めての先輩体験とも言える体験をしたことについて書きました。


これで、ようやく、このシリーズも小学校編から卒業できるかな?

自分の中から書きたいと湧き上がって来るものを書いているので、どうなるかは次回のお楽しみということで笑



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2018年05月14日

記憶に残る親子喧嘩/ぼくのストーリー#7 小学生編(15/50blogs)


奥魂(おくたま)で生きる人を応援するコーチてっつーです。


「ぼくのストーリー」シリーズ。

お陰様で、当ブログのファンでいてくださっている方々から好評をいただいております。

何より、書きながら(文字通り、書きながらです。)自分自身が慰められる感覚を覚えるという不思議なものでもあります。

でも、今回は、慰められるほうが先にあって、これを書き始めています。



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【記憶に残る親子喧嘩】

これは、以前にも書いたことがあります。

小学生時代の親子ゲンカです。


かいつまんで、事のあらましを書くと、ある日、僕と母が言い合いになりました。

もう、その理由は覚えていません。


ともかく、お互いに一歩も譲らず、長時間の膠着状態。

自分の立場は絶対に譲れない。

でも、子供の僕は、もうヘトヘトでした。


そこへ父が会社から帰宅。


僕は、そこに光明を見出しました。


「これで、やっと事態が落ち着く。。。」


内心、そんな期待を抱きましたが、現実は違いました。


一足先に母から、状況を聞いた父は、そのまま僕を叱り始めました。

状況を客観的に見ようという氣配は全く無し。



期待を見事に裏切られた僕は、絶望的な思いと共に大泣きを始めました。


記憶は、泣き始めたところから、少しずつブラックアウトしていきながら終わります。





【自分の心の癖が見えてきた】

本題の、今回の記事のきっかけとなった氣付きについて触れてみます。


僕って、あまり自分の意見を通そうとしないところがあります。


どうやら、先ほど書いた体験で、


「自分の考えを持っても反対される」

みたいな論法が成り立ったようなのです。

心の底で。


これが今回の氣付き。


半ば直観ですが、この体験が、自分の意見を言おうとしても、誰も汲み取ってくれないというふうに、心のどこかで反射的に考えてしまう。

言い方を変えると、心の色眼鏡となって、現実を解釈してきているようです。


だから自分の意見を言わない。


そのほうが安全だから。




【癖を直すには、まず自覚から】

今回、自分の意見を出すことに抵抗があるということについて、珍しく切り込めました。

無くて七癖。

自分の癖を直すには、まず自分の癖に氣付くことから始めますよね。


心の働きの癖も、基本的には同じ。


自動反応の回路が見つかれば、そこにスイッチを加えたりすることも可能になります。


まずは、回路の姿が見えた。

そんなところに今いるのです。




【最後に】

僕の心の癖が、小学生の時の親子喧嘩に、その原因を遡れるかもしれない。

そんな氣付きについて書きました。


一応、ぼくのストーリーにカテゴライズしましたが、いつもとちょっと趣が違いましたね。



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